あなたは、いちばん安い店になりたくて、その商売を始めたわけではないはずです。
本当は、良いものを届けたかった。役に立ちたかった。そう思って始めたのに、いざやってみると、思うようには売れません。気づけば、いちばん下げやすいところ——値段に、手が伸びています。その気持ちは、よく分かります。値下げは、すぐに効きます。今日からできます。だから、つい頼ってしまうんです。
ただ、値段を下げるたびに、あなたは静かに、こう言ってしまっているのかもしれません。「私の仕事は、この値段ぶんの価値もない」と。でも、たいていの場合、それは本当ではないんです。売れないのは、高すぎるからではなく、あなたの仕事の良さが、まだ相手に届いていないだけなんです。
値段では測れない価値が、ある
ひとつ、時計の話をさせてください。
腕時計を、直してほしいと持ってくる人がいます。古いと言っても、昨今、高級時計と呼ばれるものも水晶(クォーツ)時計が多く、中身は電池や部品で動く、いわば電化製品です。何年も経てば寿命もありますし、直すより新しいものを買ったほうが安い、ということも珍しくありません。それでも、その人は、その時計を直したいと言います。きれいにして、また使いたい、もう動かなくても、せめて掃除して棚に飾っておきたい——そう望む人が、いるんです。
なぜでしょうか。その時計に、その人だけの歴史があるからです。誰かからゆずり受けたのかもしれません。節目に、思いきって買ったのかもしれません。長いあいだ、ずっと腕にあったのかもしれません。そういう時間が、文字盤の奥に積もっています。その人にとって、その時計の価値は、もう値段では測れません。想い出が、値段を超えているんです。
価値とは、こういうものです。ものの中にあるのではなく、それを持つ人の心の中にあります。だから、価値を決めるのは、商品でも、値札でも、売る側でもありません。受け取る人です。
人は、ものではなく、その先を買っている
時計はわかりやすい例ですが、これは特別な話ではありません。どんな商売でも、根っこは同じです。人は、商品そのものが欲しくて買っているのではなく、それを手にした先にあるものを、買っています。
保険に入る人が欲しいのは、証券という紙ではなく、これから先の安心です。少し良いレストランを選ぶ人が払っているのは、料理の値段だけではなく、大切な人と過ごす時間です。同じ「食事」でも、急いでお腹を満たしたいだけの日と、特別な日とでは、求めているものが、まるで違います。
売っているのは、商品です。でも、お客様が本当に受け取っているのは、その商品が運んでくる、もっと先のものです。
口に出した「ほしい」の、奥にあるもの
お客様が口にする「ほしい」の奥には、たいてい、言葉になっていない「本当は、こうしたい」が隠れています。
会社が新しいコピー機を入れたいと言うとき、欲しいのは、機械そのものではありません。その奥には、仕事を速くしたい、無駄を減らしたい、という願いがあります。機械は、その願いをかなえる手段にすぎません。だから、「コピー機を売ります」では、相手の心は動きません。「御社の仕事の流れを、軽くする方法があります」と差し出せば、ようやく耳を傾けてもらえます。
相手の口から出た言葉ではなく、その奥にある願いのほうを見る——商品を売る前に、そこを見ようとするかどうかで、伝わり方が変わります。
同じものでも、価値は、人と場面で変わる
同じものでも、誰が、どんな場面で手にするかで、その価値は大きく変わります。
たとえば、自動販売機で百円の飲み物を買う人は、ただ喉をうるおしたいだけかもしれません。でも、同じ一杯が、静かな高級ホテルのラウンジで出てくると、千円払っても惜しくない、という人が出てきます。その人が払っているのは、飲み物の中身ではありません。落ち着いた時間や、少しの特別感に、お金を払っています。同じ商品でも、値段で売るのか、価値で売るのか。その違いです※1。
もっと極端な場面を考えてみます。砂漠のまん中で、喉がからからに渇いて、このままでは倒れてしまいそうなとき、目の前に、ただの水が一本だけあったとします。このとき、その一本の値段が一万円でも、十万円でも、人は手を伸ばすはずです。中身は、どこにでもある水です。それでも、その場のその人にとっては、命とつり合うほどの価値になります。
価値は、ものに固定されているのではありません。受け取る人の状況しだいで、何倍にも、何十倍にもふくらみます。
「お金がない」は、たいてい、本当の理由ではない
ここで、よくある思い込みに触れておきます。「お客様にはお金がないのだから、安くしないと買えないだろう」というものです。
でも、買う気持ちと、払えるお金とは、別のものです。さきほどの砂漠で言えば、たとえ手持ちが足りなくても、命がかかっていれば、人は何とかして払おうとします。命に関わる手術なら、お金がないからと、あっさり諦める人は、まずいません。借りてでも、頭を下げてでも、受けようとします。
つまり、お客様が「お金がない」と言って断るとき、その多くは、お金が足りないのではありません。「そこまでして手に入れたい価値だとは、まだ思えていない」だけなんです。だとすれば、やることは、値段を下げることではありません。その価値を、もう一度、伝え直すことです。
もちろん、中には、本当に手が届かない人もいます。その人は、無理に振り向かせようとする相手ではありません。あなたの価値を必要としている人に、まっすぐ届けることのほうが、ずっと大事です。
お金を出すとき、奥にある二つの気持ち
人が財布を開くとき、その奥には、たいてい二つの気持ちがあります。ひとつは、「これが手に入る」という期待。もうひとつは、「これを失いたくない」という不安です。この二つに、きちんと届くかどうかで、同じ商品でも、伝わり方がまるで変わります。
価値は、あとから足すこともできる
まず、「これが手に入る」という期待のほうです。価値は、もともと備わっているものを伝えるだけではありません。あとから、足すこともできます。
たとえば、どこにでもある、ふつうのクマのぬいぐるみがあるとします。そのままでは、有名なキャラクターのぬいぐるみには、とてもかないません。値段でも勝てません。でも、その重さを、生まれてきた赤ちゃんと、まったく同じ重さに仕立てて届けたら、どうでしょうか。
それは、もう、ただのぬいぐるみではありません。その家族にとって、生まれた日の重みを、ずっと手元に残せる、ひとつだけのものになります。買う人は、ぬいぐるみが欲しいのではありません。その一生の思い出に、お金を払います。こうなると、よそと値段を比べる人は、いなくなります。じつは、これは作り話ではありません。生まれた赤ちゃんと同じ重さに仕立てたぬいぐるみは、結婚式や出産の記念に贈るものとして、実際に売られています※2。
同じものでも、そこにどんな意味を結びつけるか。それひとつで、話が、値段から離れていきます。
「得」よりも、「損したくない」が、人を動かす
もうひとつは、「これを失いたくない」という不安のほうです。じつは、人を動かす力は、得をする話より、こちらのほうが強いんです。
こんな例で説明されることがあります。「富士山に登ったら、百万円あげます」と言われるより、「登らなければ、百万円払ってもらいます」と言われたほうが、人は動く——そう言われます。手に入るかもしれない百万円よりも、失うかもしれない百万円のほうが、心に強く響くからです。これは、行動経済学で「損失回避」と呼ばれる、よく知られた性質です※3。
ただ、この性質に触れるとき、道が二つに分かれます。
一つは、煽る道です。「今だけ」「あと何名」と、ありもしない締め切りをつくって、急かします。よく見かけますが、これはおすすめしません。その場は動いても、あとで「うまく乗せられた」と気づかれます。後に残るのは、不信です。
もう一つは、正直に伝える道です。値段だけで選ぶと、お客様自身が損をしてしまう——そのことが本当にあるなら、ちゃんと伝えます。たとえば、人の手で仕上げる仕事は、値段を下げれば、見えないところで材料や手間が削られていきます。安く買えたつもりが、後で困るのは、お客様のほうです。それを先に知らせるのは、脅しではありません。相手に損をさせないための、誠実さです。
この二つは、似て見えて、まるで逆を向いています。煽りは、相手のためを装って、自分の都合で急かします。正直な伝え方は、ほんとうに相手の損を減らそうとします。そして、どちらを選ぶかで、集まってくる人が変わります。煽れば、煽りに揺れる人が集まります。正直に伝えれば、中身を見て選ぶ人が、残ります。
値段を下げる前に
値下げは、誰にでもできます。誰にでもできることだから、そこで差はつきません。差がつくのは、自分が何を売っているのかを、どれだけ本気で分かっているかです。
あなたが売っているのは、その商品でしょうか。それとも、その商品を通して、お客様の手や心に残る、何かでしょうか。最初に、良いものを届けたいと思って始めたはずです。その「良いもの」が、相手にとって何なのかを、自分の言葉で言えるようになったとき、値段を下げる理由は、ひとつずつ消えていきます。
出典・参考
※1 永井孝尚『100円のコーラを1000円で売る方法』(KADOKAWA) 同じ商品を「値段で売る」か「価値で売る」かを、物語で説いた一冊です。
※2 「ウェイトベア(体重ベア)」。生まれたときの体重に合わせて作る、くまのぬいぐるみです。結婚式や出産の記念に、両親へ贈るものとして売られています。
※3 「損失回避」。行動経済学の用語です。ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーのプロスペクト理論で知られています。
