効率化は、いいことだとされています。速く、無駄なく、同じ結果が出るなら、そのほうがいい。たいていの場合は、その通りです。
でも、効率化すると、一緒に削ぎ落とされてしまうものが、あります。手間です。そして、手間の中にしか、ないものが、あります。
手間そのものが、伝えていること
たとえば、手書きの手紙。
伝えたい内容だけなら、メッセージを一通送れば、済みます。速いし、正確だし、無駄がない。効率だけ考えれば、手書きの手紙は、割に合いません。時間がかかる。書き損じる。届くのも、遅い。
でも、受け取った側は、知っています。この人は、自分のために、この時間を使ってくれた。その手間そのものが、「あなたは、それだけの相手です」と、伝えている。
中身の言葉は、同じかもしれません。それでも、手間をかけたという事実が、言葉とは別に、何かを伝えている。効率化すると、この「手間が伝えていたもの」が、消えます。
考える手間も、手間です
手間には、もう一つあります。考える手間。自分で判断する手間です。
何でも効率化して、答えややり方を、先回りして渡してしまうと、この手間が、省かれます。考えなくても、進む。迷わなくても、答えがある。たしかに、速い。
でも、考える手間を省き続けると、どうなるでしょうか。考える力そのものが、育たなくなります。やり方を渡され続けた人は、やり方がないと、動けなくなる。判断する手間を取り上げられた人は、自分で判断できなくなる。
手紙の手間が、気持ちを伝えていたように、考える手間は、考える力を育てています。省いた瞬間、楽にはなる。けれど、育つはずだったものも、一緒に省かれる。
ここでも、手間そのものに、意味があるんです。
速くできることと、速くしていいこと
ここを、混同しないようにしたいんです。
速くできること、効率化していいことは、たくさんあります。むしろ、どんどん効率化すべきです。単純な作業、繰り返しの処理。そういうものは、速いほどいい。道具に任せて、構いません。
でも、手間そのものに意味があるものまで、同じように効率化すると、中身ごと、削ってしまう。
人と向き合うこと。考えること。感じること。誰かのために、時間をかけること。こういうものは、手間を省いた瞬間に、肝心なものが、抜け落ちます。
時短した先に、何を残すか
効率化の目的は、本当は、時間を空けることのはずです。
単純な作業を速く片づけて、空いた時間を、手間をかけるべきものに使う。人と向き合う時間。じっくり考える時間。大切な相手のために、あえて手間をかける時間。
ところが、いつのまにか、効率化そのものが目的になってしまうことがあります。何でもかんでも速くして、空いた時間で、また別のことを速くする。手間を省くことが、止まらなくなる。
そうして、すべてを効率化し終えたとき、手元に、何が残っているでしょうか。
削ってはいけないもの
問いは、ひとつです。
それは、効率化していいものか。それとも、手間そのものに、意味があるものか。
速くできるからといって、速くしていいとは限りません。手間を惜しんだ瞬間に、伝わっていたはずのものが、伝わらなくなる。そういうものが、たしかに、あります。
何を速くして、何に手間をかけるか。それを選べる人が、結局、いちばん大事なものを、残せるんだと思います。