私たちの周りにあるものは、ほとんどが、言葉です。人に何かを頼むのも、説明するのも、断るのも、言葉。仕事も、暮らしも、人との関係も、ぜんぶ、言葉の上に乗っています。だから、書いたものが人に届かないとき、本当に足りないのは、たいてい、言葉のほうです。
ところが、文章が読まれないと、多くの人は、見た目を疑います。デザインが古いのか、配置が悪いのか、見出しがもうひとつなのか。そうやって、文字の周りばかりを、いじりはじめます。ネットに書く人なら、検索で上に出すコツへと、走ります。
でも、それは、順番が逆です。記事でも、メールでも、報告書でも、人が読むのは、見た目ではありません。言葉です。何を伝えるのかが定まっていなければ、どれだけ体裁を整えても、その文章は、届きません。
見た目をいじっても、中身は一文字も増えない
成果が出ないと、その原因を、技術や見た目のせいにしたくなります。気持ちは、分かります。色を変える、囲みを足す、検索で上に出すコツを調べる——手を動かしている感じがあって、進んでいる気にもなれます。何より、自分の言葉そのものと、向き合わずにすみます。
でも、その間、肝心の中身は、一文字も増えていません。飾りつけをどれだけ覚えても、書く力は、一ミリも上がりません。読まれない理由が言葉のほうにあるのなら、周りをいくら整えても、読まれないままです。
中身が育っていないのに、見た目だけを立派にする——それは、どこか、ちぐはぐです。赤ちゃんに、大人のスーツを着せるようなもの。服はりっぱでも、まだ歩けません。読む人は、その不つり合いに、すぐ気づきます。
読まれなければ、ないのと同じ
どれだけ美しく整えても、読まれなければ、その文章は、ないのと同じです。お客さんが一人も入らない店で、棚の並べ方を、いくら工夫しても仕方がありません。それと、同じことです。
まず、人が足を止めて、読みたくなる言葉がある——話は、そこからです。順番を、まちがえないでください。言葉が先で、見た目は、あとです。
飾りのない言葉でも、人は読む
ひとつ、確かめてみてください。あなたが、いま読んでいるこの文章には、凝った飾りが、ほとんどありません。見出しと、地の文だけ。色も、囲みも、ほとんど使っていません。それでも、あなたは、ここまで読んでくれています。
これが、答えです。人を最後まで連れていくのは、飾りではなく、言葉のほうなんです。逆に言えば、言葉が弱ければ、どんなに飾っても、途中で閉じられます。飾りは、弱い言葉を、救ってくれません。
読まれないのは、たいてい、言葉が足りないから
では、読まれないのは、なぜか。多くの場合、答えは、ひとつです。まだ、言葉が、足りていないんです。
きつく聞こえるかもしれません。でも、これは、あなたを責める話ではありません。むしろ、逆です。原因が言葉にあるのなら、直せるのも、言葉です。デザインをいくらいじっても動かなかったものが、言葉を見直したとたん、動きはじめる——そういうことが、本当に、起きます。
それに、最初から、人の心を動かす文章を書ける人は、いません。自転車と、同じです。だれでも、はじめは乗れません。転びながら、何度も乗るうちに、考えなくても進めるようになります。文章も、書いた数だけ、書けるようになります。いま上手く書けなくても、何の問題もありません。
あなたにしか書けない言葉を
もうひとつ、大事なことがあります。だれでも書けることを、きれいに書いても、人は、読みません。読みたくなるのは、その人にしか書けない言葉です。
あなたが、実際に見て、感じて、考えたこと。どこかで借りてきたのではない、自分の言葉。それは、文章が上手いか下手かとは、別のところにあります。むしろ、少し不器用でも、本当に自分の中から出てきた言葉のほうが、まっすぐ届きます。
技術は、あとからでも、足せます。でも、自分の言葉で書く、という一歩だけは、だれも代わってくれません。読まれる文章は、たいてい、そこから始まっています。
見た目は、あとからでも、整えられます。検索の工夫も、あとから、学べます。でも、言葉だけは、あとまわしにできません。
今日、あなたが書くものから、自分の言葉で書いてみてください。記事でも、メールでも、たった数行の投稿でも、同じです。飾りのない言葉でも、人は、ちゃんと読みます。——あなたが、いま、ここまで読んでくれたように。