「自分は、AIと相性がいい」。そう言う人が、増えました。
うまく指示を出して、整った文章や、見栄えのする資料を、さっと出す。たしかに、便利です。
でも、「相性がいい」とは、何のことでしょうか。多くの場合、それは、質問の質のことです。何を、どう聞くか。同じ道具でも、聞き方がうまい人は、いい答えを引き出す。聞き方が雑な人は、ぼんやりした答えしか返ってきません。
そこまでは、その通りです。ただ、もう一歩、踏み込んでみたいんです。聞き方が効くものと、効かないものが、あるからです。
答えが決まっているなら、誰がやっても同じ
1+1は、2です。誰が聞いても、いつ聞いても、2。答えが、決まっています。
教科書に載っていること。手続きの決まっていること。すでに、どこかに正解があること。こういうものは、うまく聞けば、きちんと返ってきます。そして、答えが決まっているからこそ、誰が聞いても、同じところに行き着く。聞き方がうまければ速い、というだけで、行き先は同じ。つまり、代わりがきくんです。
答えがあるように見えて、ない
ところが、答えがあるように見えて、実はないものがあります。
たとえば、ダイエット。「痩せる方法を教えて」と聞けば、それらしい答えは返ってきます。でも、よく考えてください。性別も、年齢も、体格も、体質も、身長も、体重も、人によってまるで違う。同じ方法が、ある人には効いて、ある人には効きません。
しかも、元になっている情報そのものが、バラバラです。あの本はこう言い、あのサイトはああ言う。参照する先が割れているのだから、出てくる答えも、聞くたびに揺れます。
この揺れは、道具の不出来ではありません。そもそも、ひとつの正解がないものに、ひとつの答えを出させようとしている。だから、揺れて当然なんです。
むしろ、答えがあるように見える分、こちらのほうが、たちが悪い。出てきた答えを「正解」だと思い込んでしまうからです。
そして、自分の中にしかないもの
もう一段、奥があります。
自分が、何を感じたか。なぜ、心が動いたか。まだ言葉にならない、曖昧なもの。そして、文章。
文章は、難しいんです。整った文を組み立てることはできても、「正解」のないものは、書けない。あなたが何を感じ、何を伝えたいのか。それは、どこにも載っていません。聞き方をどう工夫しても、あなたの代わりには、出せない。ここは、自分から出すしかない領域です。
「相性がいい」の、本当の中身
整理します。
答えの決まっているものは、うまく聞けば出てくる。でも、誰がやっても同じだから、差はつかない。答えの決まっていないものは、聞き方を磨いても、ひとつの正解は返ってこない。揺れるか、あるいは、自分からしか出てこない。
だとすると、「相性がいい」が本当に効くのは、どこでしょうか。答えのあるものを速く片づけて、その分の時間と力を、答えのない側に使えるとき。出てきたものに、自分の感じたこと、自分の判断、自分の言葉を、足せるとき。
道具が、答えのある部分を引き受けてくれるなら、人がやるべきは、答えのない側です。そこを明け渡してしまったら、どれだけ「相性がいい」と言っても、出てくるのは、誰でも出せるものばかりになります。
問われているのは、答えのない側
聞き方がうまいことは、たしかに、ひとつの力です。でも、それは入り口にすぎません。
問われているのは、その先です。答えのない問いに、自分は何を出せるか。揺れる答えの中から、自分の場合の答えを、選べるか。感じたことを、言葉にできるか。
「自分は相性がいい」と言う前に、一度、確かめてみてください。引き出しているのは、答えのあるものばかりではないか。答えのない側に、自分の何かを、足せているか。
そこにこそ、誰とも入れ替えのきかない、自分が出ます。
道具は変わる。問いは、変わらない
ひとつだけ、付け加えます。
答えのある側――道具が得意な側は、道具とともに変わっていきます。ITと呼ばれ、DXと呼ばれ、AIと呼ばれてきたように、便利の中身は、これからも入れ替わる。そこで覚えた使い方は、道具が変われば、また覚え直しです。
でも、答えのない側――自分は何を知りたいのか、という問いは、変わりません。道具が何になっても、古びない。劣化しないんです。
自分自身は、そう簡単には変わりません。だからこそ、時間をかける値打ちがあるのは、こちら側です。次々と現れる便利な道具を追いかけることより、自分の問いを、深めること。学ぶというのは、本当は、そういうことだと思っています。