「相手のため」と「自分のため」は、反対のものだと思われています。
「誰かのために動けば、自分が犠牲になる」「自分のために動けば、わがままだ」。私たちは、どこかで、そう教わってきました。だから、二つのあいだで、いつも板挟みになります。
まじめな人ほど、苦しくなります。いつも誰かを優先して、自分のことは後回しにします。それが正しいと信じているからです。でも、そういう人ほど、気づかないうちに、すり減っています。
我慢して差し出したものは、なぜか伝わります
ここに、見落とされていることがあります。
我慢して、無理をして、自分を押し殺して差し出した「相手のため」は、不思議と、相手に伝わってしまうんです。「こんなにやってあげたのに」。その気持ちは、口に出さなくても、にじみます。受け取った側は、ありがたいと思うより先に、どこか重く感じます。
自分を犠牲にして尽くすほど、見返りを期待してしまいます。そして、期待した見返りが来ないと、今度は相手を恨んでしまうんです。「あんなにやったのに」。優しさのつもりが、いつのまにか、お互いを苦しめています。
自分が枯れたら、誰のためにもなれません
もうひとつ、あります。自分を後回しにし続けると、いつか、枯れます。
枯れた人は、誰のためにも動けません。気力も、余裕も、残っていないからです。相手のために、と思って自分をすり減らした結果、その相手のためにすら、なれなくなります。よくあることです。
自分を満たすのは、わがままではありません。誰かのためであり続けるための、土台です。
満たされている人は、無理なく渡せます
逆を、考えてみてください。
自分が満たされている人は、人にやさしくするのに、無理がありません。心に余裕があるからです。見返りも、求めません。もう自分は満たされているので、恩を着せる必要がないからです。受け取る側も、軽く受け取れます。
自分を大切にすることと、相手を大切にすること。この二つは、ぶつかりません。むしろ、自分が満ちている人ほど、自然に、相手のためになれます。あふれた分が、まわりに渡っていきます。順番が、逆だったんです。
どちらか、ではなく
「相手のため」か「自分のため」か。この二択で考えるのを、やめてみてください。
心から納得してやった「相手のため」は、相手を満たすと同時に、自分も満たします。自分のためにやったことが、めぐって、誰かのためになることもあります。二つは、もともと、敵同士ではありません。
「自分を犠牲にしないと、人にやさしくできない」。もし、そう思い込んでいるなら、やさしさの出どころを、取り違えているのかもしれません。
まず、自分を満たしていいんです。それは、わがままではありません。