私は、ある高額講座を最後まで受けました。全12回。

最初の2回は、講師が何を言っているのかわからないまま座っていました。雑学のような話が続き、ゴールが見えない。中身のない振り返りも挟まる。役に立つのかなと思いながら、3回目に進みました。

3回目で実際のワークが始まった瞬間、ゴールが見えました。
「ああ、この人が言いたかったのは、こういうことだったのか」と。

私は、自分の中でゴールの最終形まで一気に出すことができました。ただ、それを場で全部出すと、他の受講生と差が出すぎる。だから引っ込めて、講座のペースに合わせて、自分の中で小分けにしながら、最後まで通いました。

ゴールが見えてから振り返ると、12回のうちの9割は雑学でした。ワークは、フレームワークを埋めるだけの作業。埋めた結果を、自分の事業や人生でどう使うのか、未来が全く想像できませんでした。

ここで一つ、誤解されたくないことがあります。フレームワーク自体に価値がないとは、私は思っていません。フレームワークが存在しているということは、その考え方に一定の確実性があり、過去に効果が認められてきた歴史の証拠です。先人が試行錯誤して、使えると残ったものが、フレームワークとして残っている。

問題は、フレームワークそのものではなく、講座での出し方でした。

考えて埋めるなら、余地はありました。フレームワークを通じて、その分野で先人が何を考えてきたか、なぜこの形になったかを学べる余地は、たしかにあった。

ただ、私が受けた講座の構造では、その使い方にはなっていませんでした。だから、私の人生でも仕事でも、意味が見出せませんでした。

この経験から、私は高額講座を選ぶときに確認することが、いくつか変わりました。

私が受けたあの講座が「中身がなかった」とは言いません。私には合いませんでした。他の人にとってどうだったかは、わかりません。ただ、私が受講後に気づいた違和感は、私の中では具体的な確認項目になっています。それを共有します。


研修・講座業界の数字を、一つだけ

本題に入る前に、事実を一つ置きます。

産労総合研究所「2025年度教育研修費用の実態調査」によると、日本企業が従業員1人あたりにかけている教育研修費用は、年間36,036円(2024年度実績)。前年から1,430円増えていて、コロナ禍以降は毎年増加しています。

企業は、研修にお金をかけています。年々増やしています。

一方で、その研修が本当に効果を出したかを測っている企業は、ごくわずかです。具体的な数字は後の章で示します。

私がこれから書くのは、企業研修の話ではなく、個人で受ける高額講座の話です。ただ、研修・講座という商品が、効果を測られないまま売られている、という構造は、両者に共通しています。

お金は動いている。効果は測られていない。

ここから話を始めます。


なぜ「すごく見える」のか

高額講座の広告を見ると、難しそうな用語と、学問らしい体系が並んでいます。

確率論、集合論、ベクトル、写像、PMF(プロダクト・マーケット・フィット)、PSF(プロブレム・ソリューション・フィット)、期待値、Σ記号、独自のフレームワーク名。

知らない人から見ると、すごいことを言っているように見えます。難しい言葉が並んでいるから、深い学問のように見える。

ここを誤解しないでほしいのですが、確率論や集合論やPMFといった概念に、価値がないという話ではありません。確率論は高校や大学で学ぶ立派な学問です。集合論もそうです。PMFやPSFは、スタートアップの実務で使われてきた、歴史のある概念です。それぞれに、それが生まれた背景があり、解こうとした問題があり、適用できる場面とできない場面があります。

問題は、それらをどう出すか、です。

私が受けた講座では、こうした概念を組み合わせて、独自の体系名で再パッケージしていました。再パッケージ自体は、構いません。ただ、その体系を、なぜこの形になったか、何を解くためのものか、を抜きで、いきなり応用編から渡されました。

「これがPMFです。自社の経済価値Viと、お客様の経済価値Voを、ここに書き込んでください」

これは、フレームワークの使い方として、応用編の応用編です。ほとんどの受講者は、フレームワークが生まれた背景も、それが解こうとした問題も、知らない。そこにいきなり「自社の内容を当てはめてください」と言われても、何を考えればいいかわからないまま、ただ枠を埋める作業になります。

ペテルブルクのパラドックスという、確率論の有名なパラドックスも出てきました。期待値が無限大になるゲームに、いくらまでなら参加するかという話です。確率論の教科書に載っているものです。

それを学んだあとで、私の事業や人生で何かが変わったかと言えば、変わっていません。なぜこの概念を学ぶ必要があるのか、それが私の現実とどう結びつくのかが、講座の中では示されなかったからです。

知らない知識が増えただけでは、何も変わりません。知らないから、すごく見える。私が最初に違和感を持ったところは、ここでした。


数式の正体は、自分の言葉を数字に置き換えただけ

その講座では、数式が出てきました。

「自社の経済価値Vi」「お客様の経済価値Vo」「源泉の合計Σvi=Vi」。シートに、自社の源泉、お客様の正体、機能、寄与度を埋めていく作業をしました。

数式で書かれていると、何か科学的なことをしているように見えます。

でも、実際にやっていたのは、自分が頭の中で「こうだろうな」と思っていることを、ただ数字や記号に置き換える作業でした。

検証されていない理想を、数式の見た目で着飾る。

シートを埋めた結果、自分の事業について新しいことがわかったかと言えば、わかりませんでした。シートを埋める前から知っていたことを、シートの形に整理し直しただけです。

似たものを、別の場所でも見たことがあります。難しい理論を使って書かれた事業計画書が、よく見ると「うちはこれをやりたい」「こうなったらいい」という、書いた人の願望を理論の形に並べ直しただけ、というもの。

数式や理論は、検証の道具です。検証していない段階で数式に置き換えても、検証ではなく、装飾です。

私が確認するようになったことの、一つ目はここです。

その講座で扱われる数式や理論は、何を検証するためのものか。まだ検証されていない理想を、見栄えのために置き換えているだけではないか。


方向性が定まっていない講座は、何も生まない

その講座で、もっと根本的に違和感を持ったところがあります。

最初に、「この講座は何をする講座か」が定義されていませんでした。

事業を良くするアプローチには、大きく分けて三つあります。

一つは、今ある事実を、お客様の本音に翻訳して、適切な値札をつけるアプローチ。今あるものを見直すやり方です。

もう一つは、受注を増やす、生産能力を上げる、営業を強化する、というアプローチ。今の延長線上で量を増やすやり方です。

最後に、新しい商品やサービスを作る、新規事業のアプローチ。今とは別のことを始めるやり方です。

この三つは、やることも、必要なお金も、必要な時間も、全部違います。新規事業ならまとまった投資が要ります。拡大なら設備や人を増やします。今あるものを見直すなら、設備を増やさずに、見せ方を変えることから始まります。

私が受けた講座は、受講者のやりたいことを、最初に確認していませんでした。

ある人は新規事業のつもりで来ていました。ある人は設備拡大の話をしていました。ある人は新しい営業手法を探していました。それぞれが、別のことをやりたかった。

それなのに、全員が同じシートを埋めていました。

方向性が違う人たちが、同じワークを同じ手順でやる。何が起きるか。

シートを埋める作業に終始します。「自分は何をやりたいのか」を考える前に、目の前のシートを埋めなければならない。シートを埋めた結果、自分のやりたかったことに辿り着く保証は、ありません。

ここで、先ほどの「フレームワークの出し方」の話と、つながります。

フレームワーク自体は、価値があります。先人が試行錯誤して残してきたものです。ただし、フレームワークを使って何かを生むには、二つの条件が要ります。

一つは、そのフレームワークが何を解くためのものか、受講者が理解していること。

もう一つは、受講者自身が、自分は何を解きたいのかを、わかっていること。

私が受けた講座は、その両方を確認しないまま、応用編のフレームワークだけを渡しました。だから、考えて埋めることができず、ただ作業として埋めることになった。

考えて埋めるなら、フレームワーク以上の学びがあります。なぜこの問いがあるのか、自分の事業に当てはめるとどう見えるか、当てはまらない部分はどこか。そういう思考が動きます。

作業として埋めれば、何も残りません。

私が確認するようになったことの、二つ目です。

最初に「この講座は何をするための講座か」が、明確に定義されているか。受講者のやりたいことに関係なく、同じワークをさせようとしていないか。フレームワークを渡すとき、考えて埋める構造になっているか、ただ作業として埋めるだけになっていないか。


「いいサービスが生まれた」は、誰のおかげか

その講座の中で、受講生のうちの何人かが、いいサービスのアイデアを出していました。

そして、それが「講座の成果」として扱われていました。

私は、それを見ながら、別のことを思っていました。アイデアを出したのは、その人の地力ではないか、と。

もともと考える力のある人が、自分の事業について深く考えた結果、いいものを出した。それは、その人の力です。シートを埋める作業のおかげで出たものではない。

私が個人的に感じただけの話ではありません。研修や教育の世界では、ずっと指摘されてきた問題です。

研修の効果をどう測るかについて、米国のドナルド・カークパトリックが提唱した「4段階評価モデル」というものがあります。レベル1は研修直後の受講者の満足度、レベル2は知識の習得度、レベル3は受講後に現場で行動が変わったか、レベル4は組織の業績に貢献したか。レベルが上がるほど、効果として深いものを測ることになります。

このモデルを使って、日本の企業が研修をどのレベルまで測っているかを調べた調査があります。雇用・能力開発機構の調査研究資料(No.114)です。

結果は、こうでした。

レベル1の満足度を測っている: 77.2% レベル2の知識習得度を測っている: 22.3% レベル3の行動変容を測っている: 12.0% レベル4の業績貢献を測っている: 6.6%

日本企業の研修の約93%は、組織の成果に貢献したかを測っていません。約88%は、受講者が現場で行動を変えたかすら測っていません。

そして、約77%は満足度のアンケートを取っています。

満足度は、感想です。「楽しかった」「役に立ちそう」と思うかどうか。講師の話の上手さや、ワークの楽しさで上がります。受講者の事業が実際に良くなったかとは、別の話です。

研修や講座を提供している側は、満足度の高さを「効果の証拠」として使うことがあります。でも、満足度と、現場での行動変化と、業績への貢献は、別のものです。

私が受けた講座にも、満足度アンケートはありました。「いいサービスが生まれた人がいた」という事実もありました。でも、その人が講座のあとに、実際に事業を変えたのか、その変化が業績にどう影響したのかは、追跡されていません。

つまり、講座を提供する側が「効果が出た」と言うとき、それが何のことを指しているのかを、受講する側は確認したほうがいい、ということです。

私が確認するようになったことの、三つ目です。

講座が、「受講者が自分の地力で出したもの」と「講座の仕掛けによって出たもの」を、区別できる構造になっているか。提供する側が「効果が出た」と言うとき、何を測ってそう言っているのか。


認定システムの違和感

私が受けた講座は、最後にテストがありました。

合格すると、「あなたも同じ講座を提供してよい」と認定される仕組みでした。

そのテストは、選択肢から正解を選ぶクイズ形式でした。確率論やPMFの定義を問う、知識確認の問題です。

選択肢から正解を選べることと、その内容を自分の現実で使えることは、別のことです。クイズが解けても、自分の事業が良くなるわけではありません。

そして、そのクイズに合格したら「教える側になれる」というのは、もっと不思議な構造でした。教える側になるとは、受講者の質問に答え、その人の事業に合わせて翻訳し、考えさせる構造を作ることです。クイズが解けることとは、別の能力です。

私は、この認定を実績として使わないでください、と伝えました。受け取ること自体が、自分の中で違和感だったからです。

私が確認するようになったことの、四つ目です。

その講座の認定や修了証は、何を担保しているか。知識を覚えたことを担保しているのか、その内容を使って他人に教えられることを担保しているのか。


「楽に簡単に」「すごい結果が出る」という言葉

高額講座の広告には、よく見る言葉があります。

「楽に」「簡単に」「短期間で」「絶対に」「圧倒的に」「人生が変わる」。

こうした言葉は、注意したほうがいいと、私は今では思っています。

理由は、いくつかあります。

一つは、本当に効果のあるものは、こういう言葉を使わなくても伝わるからです。具体的に何を学ぶか、学んだあと何ができるようになるか、それが言えるなら、煽り言葉は要りません。

もう一つは、こういう言葉に反応する人は、講座の中身ではなく、結果の保証を求めてしまうからです。中身を見ずに、保証を信じて契約する。お金を払う側にとっても、危ない買い方です。

「楽に簡単に何かが手に入る」という前提自体が、現実とずれています。考えることは、楽ではありません。自分の事業や人生を見直すことは、簡単でもありません。「楽に簡単に」と言われる時点で、その人は考える作業を渡してくれない、ということがわかります。

私が確認するようになったことの、五つ目です。

その講座が、「楽に」「簡単に」「絶対に」といった煽り言葉で売られているか。具体的に何を学び、何ができるようになるかで、説明されているか。


受講後の自分が、何を語れるようになるか

ここまで書いてきたことを、一つにまとめると、こうなります。

高額講座を受けたあと、自分が何を語れるようになっているか。

ここが、私の中で一番大事な確認項目になりました。

その講座を受けたあと、自分の事業や仕事について、自分の言葉で説明できるようになっているか。他人に質問されたときに、講座で習った用語を使わなくても、自分の言葉で答えられるか。

もっと言えば、その内容を、自分が他人に教えられるレベルまで持っていけるか。

教えられないなら、自分のものになっていません。覚えただけです。

私が受けた講座は、用語を覚えれば、シートを埋められました。シートを埋めれば、何かやった気がしました。でも、講座が終わったあと、誰かに「あの講座で何を学んだの」と聞かれて、自分の言葉で答えるのが難しかったです。

「独自のフレームワークと、確率論の応用と、PMFを学んだ」と言うことはできました。でも、「それで自分の事業がどう変わったの」と聞かれると、答えに詰まりました。

ここで、もう一つ事実を置きます。OECDが2022年に実施した国際学力調査(PISA 2022)で、日本は数学の応用力が世界1位、科学の応用力が1位、読解力が2位でした。世界トップクラスです。

ところが、同じ調査の中で「自律学習への自信」を聞いた項目では、日本は37カ国中34位でした。

テストで正解を選ぶ力はあります。でも、自分で学んで、自分の言葉で説明し、自分で判断する自信は、低い。

日本の学校教育が、知識を覚えてテストで答える方向に重点を置いてきたことと、無関係ではないと思います。その延長線上で、大人になっても「正解が決まっている知識を覚える」ことを学びと感じやすい傾向があるのではないか、と私は見ています。

高額講座が、用語を覚えて、シートを埋めて、クイズで合格する、という形式で成立しているのは、この土壌に乗っているからかもしれません。受講する側は、何かを覚えると「学んだ」と感じる。提供する側は、覚えやすい知識を体系化して渡せばいい。

でも、それで自分の事業や人生が変わるかは、別の話です。

学ぶこと自体は、悪いことではありません。確率論を知ることも、集合論を知ることも、PMFという概念を知ることも、何かしらの意味はあります。

ただ、それを高額講座という形で、何時間も、何十時間も使って学ぶ価値があったかと聞かれると、私は別の使い方ができたと思っています。


私が、高額講座を選ぶ前に確認するようになったこと

ここまで書いてきたことを、確認項目として並べ直します。

一つ、その講座で扱われる数式や理論は、何を検証するためのものか。検証していない理想を、見栄えのために置き換えているだけではないか。

一つ、最初に「この講座は何をするための講座か」が、明確に定義されているか。受講者のやりたいことに関係なく、同じワークをさせようとしていないか。フレームワークを渡すとき、考えて埋める構造になっているか、作業として埋めるだけになっていないか。

一つ、講座が、「受講者が自分の地力で出したもの」と「講座の仕掛けによって出たもの」を、区別できる構造になっているか。

一つ、その講座の認定や修了証は、何を担保しているか。知識を覚えたことだけか、その内容を他人に教えられることまでか。

一つ、その講座が、「楽に」「簡単に」「絶対に」といった煽り言葉で売られていないか。

一つ、受講後に、自分の言葉でその内容を語れるようになっているか。他人に教えられるレベルまで行けるか。


私があの講座を受けて、受けたあとに、自分の中で固まってきた確認項目です。

他の人にとって、同じ講座がどう感じられるかは、私にはわかりません。私には合いませんでした。それだけのことです。

ただ、高額講座を選ぶときに、難しそうな用語の数や、講師の権威や、認定の有無で決めるのは、私の中ではもう判断材料にならなくなりました。

代わりに、上の確認項目を、自分に問うようになりました。

フレームワークは、考えるための道具です。考えることを目的にすれば、フレームワーク以上の学びがあります。作業を目的にすれば、フレームワークを埋めて終わります。

私自身も、無料のシートを出しています。枠は、考えるきっかけとして置いています。埋めることが目的になったと感じたら、枠を捨てて、白い紙に自分の言葉で書いてください。白い紙から始めるための、型のない用紙も置いています。

学ぶことは、楽しいです。考えることも、楽しいです。誰かに用意されたシートを埋める作業に変えてしまうのは、もったいないことだと、私は思っています。

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