子供の授業参観に行きました。

算数の授業で、子供たちが班になって、問題の解き方を話し合っていました。先生は黒板の前に立って一方的に教えるのではなく、問いを投げて、子供たちの意見を整理する役割をしています。

教室を見回して、ふと、気づきました。

これは、大人たちが、何十万円もの研修費を払って学んでいる「考える力」「議論する力」と、同じものです。

それが、小学校の教室で、毎日、無料で、当たり前のように行われている。

ほんとうに、驚きました。

そして、しばらくして、別の感情が湧いてきました。

これは、ただの驚きで終わる話ではない。


これからの普通は、9年積み上げた人間です

文部科学省は、2017年に新しい学習指導要領を告示しました。小学校で2020年度、中学校で2021年度から全面実施されています。

何が変わったか。

知識を暗記させる教育から、考える力を育てる教育への、構造転換です。

新しい指導要領では、「思考力・判断力・表現力等」を、育成すべき三つの柱の一つに据えました。文部科学省の定義によれば、「未知の状況や正解のない問題に対し、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、他者と協働しながら解決していく力」。

これを実現するための授業改善の視点として打ち出されたのが、「主体的・対話的で深い学び」です。中央教育審議会の答申では、こう定義されています。

主体的な学びとは、「問題意識等の内面的エネルギーで支えられた活動か」。

対話的な学びとは、「他者とかかわりあう行為があるか」。

深い学びとは、「目標達成に迫るベクトル・アプローチがあるか」。

つまり、自分で問いを立てて、他者と議論しながら、現実の課題に応用する力。これを、全教科で育てる。それが、今の学校教育の方針です。

そして、その日常の中に、ある日、唐突に道徳の時間がやってきます。

2018年度の小学校、2019年度の中学校で、道徳は「特別の教科 道徳」に格上げされました。きっかけは、いじめ問題です。当時の文部科学大臣は「いじめに正面から向き合う『考え、議論する道徳』への転換に向けて」というメッセージを発信しました。

かつての道徳教育は、「いじめは絶対によくない」という分かりきった建前を言わせる、形式的な指導に陥っていました。新しい道徳は、「いけないと分かっているのに、なぜいじめは起きるのか」「同調圧力の中で、なぜ傍観者になってしまうのか」という、答えのない問いに向き合う場へと変わりました。

正解を教えない。子供自身に考えさせ、議論させる。

普段の授業で議論する力を育てる。そして、週に1コマ、「人としてどうあるか」を考える時間を、特別に組み込む。両方を、9年間続ける。

これが、今の学校教育です。

そして、結果も出ています。

2022年のOECD国際学習到達度調査(PISA)で、日本はOECD加盟37か国中、数学的リテラシー1位、読解力2位、科学的リテラシー1位という結果を出しました。読解力は、2018年の11位から、大幅に回復しています。

学校教育は、確実に変わりました。これは、もう動かしようのない事実です。

そして、ここから本題に入ります。

これからの未来、義務教育で9年間「考える力」を学んだ人間が、普通になります。

普通の人間が、9年積み上げてきた土台を持っている時代が、もう始まっています。


Eテレで、同じことが流れています

授業参観に行けない方は、Eテレを見てください。

NHKは、教育向けの番組をたくさん作っています。チャンネルを変えるだけです。受信機の前にいるだけで、届きます。スマホもPCも、要りません。

子供たちが地域の課題を自分で見つける番組。

答えのない問いを、子供同士で議論する番組。

歴史上の人物の判断について、自分の意見を出し合う番組。

ミクロの世界を、子供自身が顕微鏡で撮影してまとめる番組。

低学年向けの番組には、確かに子供っぽさがあります。でも、義務教育以上を扱う番組、算数、数学、情報、経済を扱う番組では、「考えること」にシフトしている。見応えがあります。

私自身、見ていて何度も「これは、どこかのセミナーで聞いたことがあるなあ」と感じました。

言葉で考えている子供たち。みんなで話している子供たち。

何でも、見方が変わっています。

会社が大金を払って学んでいることが、Eテレに流れている。しかも、子供にもわかる形で。

これが、今の現実です。


「NHKなんか」と鼻で笑う人がいる

ここまで読んで、「NHKなんか、子供向けの番組じゃないか」と感じた方が、いるかもしれません。

鼻で笑う気持ちは、わかります。

ただ、ここで一つ、面白いことがあります。

「NHKなんか」と鼻で笑う人には、2種類いるのです。

一人目は、すでに身についている人です。考える力の土台が、自分の中にもう備わっている。だから、子供向けの番組を見て、「こんなもの、当たり前じゃないか」と感じる。学ぶ意味が、わからない。だから、笑う。

二人目は、身についていない人です。見ても、何の感想も生まれない。何が大事なのか、ピンとこない。だから、「子供向けだろ」と笑うしかない。

同じ番組を見て、片方は「もう知っている」と思い、もう片方は「何も感じない」と思う。

その間にいる人も、いるでしょう。ただ、どちらの笑いも、学ぶ入口を自分で閉じているという点では同じです。

笑う前に、一度だけ、何が描かれているかを見てみてください。

経営者の方、管理職の方。試しに、Eテレを10分だけ見てみてください。

そして、どこかのセミナーで聞いた話が出てこないか、確かめてみてください。


「はじめの頃に」は、無知の知です

ところで、なぜ、学校で9年も繰り返すのでしょうか。

一度教えれば、わかる話ではないのでしょうか。

そうではありません。

考える力は、繰り返すうちに、定着するものです。学校で、毎日、見て、考えて、議論して、書いて、また話して。それを9年続けるから、身体に染み込みます。

そして、定着の鍵は、もう一つあります。

「言葉で出す」訓練です。

授業参観で見ていて、気づいたことがあります。低学年のうちから、思ったことを言葉に出している子供たちがいます。考えていることを、声に出して、他の子供たちに伝える。それを毎日繰り返している。

その子たちが、定着するのです。

逆に、黙って聞いているだけの子供は、定着しません。

これは、大人にも当てはまります。Eテレを見て「これは、あのセミナーで聞いた話だ」と言葉に出せる人は、土台がある。何も言葉が出てこない人は、惰性で見ているだけ。

何を学ぶか、ではない。「言葉で出すかどうか」。

これが、定着の分かれ道です。


大人が、応用編を学びたがる理由

ここで、もう一つ、大事な話をします。

大人は、応用編を学びたがります。

「ロジカルシンキング」「フレームワーク」「PASONA」「MECE」「SWOT分析」。研修で売られているのは、応用編ばかりです。

なぜ、大人は応用編を欲しがるのか。

基礎を「もう知っている」と思い込んでいるからです。

しかし、本当は、基礎を知らない人ほど、基礎を「もう知っている」と思います。何が基礎なのかが、わからないから、すでに知っていると思い込む。

ソクラテスが言ったことです。無知の知。自分が知らないことを、知っている人だけが、学べる。

自分が知らないことに気づかない人は、応用編に飛びつきます。そして、応用編の単語すら、本当は理解できていない。

ロジカルシンキングを学んでも、そもそも「論理」とは何かを、自分の言葉で言えない。フレームワークを学んでも、「フレームに収まらない現実」をどう扱うかが、わからない。

土台がないまま、応用編を学んでも、吸収率はゼロに近い。

学校が9年かけて育てているのは、土台です。「自分で問いを立てる力」「他者と議論する力」「自分の言葉で考える力」。これが、全ての応用編の前提になる力。

大人の研修が応用編ばかりなのは、応用編の方が売りやすいからです。「あなたにはこれが足りない」「これを学べば成果が出る」と言いやすい。

土台がない人に「土台がありません」と言うのは、難しい。本人が「もう知っている」と思っているからです。だから、研修ビジネスは、土台を売らない。応用編を売る。

そして、応用編は、吸収されない。


NHKは、意図を込めて作られています

Eテレの番組は、子供向けです。でも、作っているのは、プロです。

映像のプロ、教育のプロ、コンテンツ設計のプロ。何人もの大人が、子供にもわかる形で、考える力の本質を、映像にしている。

ただし、NHKは、わざわざ「この番組には、こういう意図があります」と話しません。

意図を理解させるのが、目的ではないからです。

意図を込めた設計が、子供の中に自然に入る。それが、目的です。

見ている人が意図を完全に理解するのは、難しい。でも、「意図がある」と知って見るのと、知らずに見るのとでは、見えるものが全く違います。

「これにはきっと意図がある」と思って見る人は、設計を読み解こうとします。なぜ、この順番で話が進むのか。なぜ、この場面でこの問いを投げるのか。なぜ、子供にこの言葉を使うのか。

意図を読み解こうとする姿勢そのものが、考える力を育てます。

「ただの子供向け番組」として見る人は、何も読み解こうとしません。だから、惰性で終わる。

これは、NHKを見るときだけの話ではありません。

会議も、営業メールも、上司の言葉も、若手の沈黙も、すべてに「意図」があります。

それを読み解こうとする人と、表面だけ見て流す人で、見える世界が違います。


では、会社は何にお金をかけているのか

ここで、企業の側に視点を移します。

産労総合研究所の2025年10月発表の調査によると、日本企業の従業員1人あたりの教育研修費用は、2024年度実績で36,036円。コロナ禍を底に4年連続で増加し、コロナ前の水準(2019年度の35,628円)を超えました。約6割の企業が、今後さらに増やすと回答しています。

お金は、確実に増えています。

では、何に使われているか。同じ調査によれば、企業が重点的に取り組む教育研修の上位は、新入社員教育、中堅社員教育、上級管理者教育。加えて、DX教育の強化、スキル・知識の向上。

つまり、企業研修の中心は「スキルを教える」「DXを覚えさせる」という方向です。

学校が方向転換した「自分で考える力を育てる」研修は、ここに含まれていません。

しかも、新入社員教育の中身は、興味深いものです。

東京商工会議所の2024年度新入社員意識調査によると、企業が新入社員に「入社時点までに身につけて欲しいスキル・知識」の上位は、「ビジネスマナー(身だしなみ、挨拶、敬語、態度、席次等)」「パソコン」「電話応対」。

学校で9年かけて議論する力を育てた子供たちに、会社は「身だしなみ」と「電話応対」を教えている。

これが、今の企業研修の現実です。


数字が示している現実

研修費は、増えている。しかし、何かが変わったでしょうか。

厚生労働省が2024年10月25日に公表した「新規学卒就職者の離職状況」によると、令和3年(2021年)3月卒の新規大卒就職者の3年以内離職率は34.9%。3年で3人に1人が辞めています。

事業所規模別に見ると、5人未満で59.1%、5〜29人で52.7%、30〜99人で42.4%、100〜499人で35.2%、500〜999人で32.9%。そして、従業員1,000人以上の大企業でも28.2%。

「大手だから安心」は、もう通用していません。

研修費は4年連続で増加。しかし、3年以内離職率は34.9%のまま、改善していない。

お金をかけている場所が、違うのです。


同じ「主体性」という言葉。意味が逆です

東京商工会議所の同じ調査で、もう一つ、興味深い数字が出ています。

新入社員が「仕事で大事にしたい」と答えた1位は、「主体性」で56.6%。

一方、「規律性」を大事にしたいと答えた新入社員は、わずか6.8%。

しかし、企業側が新入社員に「大事にしてほしい」と答えた規律性の割合は、33.7%。

約5倍の差です。

ただ、ここで本当に重要なのは、同じ「主体性」という言葉を使いながら、企業と若手で意味が逆だということです。

第一生命経済研究所の分析によれば、企業が求める「主体性」は、組織の目標や暗黙のルールをいち早く察知し、指示される前に会社のために動くこと。

新入社員が求める「主体性」は、自分のキャリアや業務を自分の裁量でコントロールし、納得のいく目的のために自律的に動くこと。

同じ言葉なのに、定義が逆です。

これが、配属初期のエンゲージメント低下の引き金になっています。


「ゆるくて辞める」という現象

リクルートワークス研究所の古屋星斗氏が、2024年に日本労働研究雑誌に発表した論文「若年労働者の離職と定着、その現代的論点」で、興味深い現象が指摘されています。

若手の離職理由は、「きつくて辞める」だけではなくなった。「ゆるくて辞める」という現象が、特に大手企業で顕在化している、という指摘です。

働き方改革で、長時間労働やハラスメントは減りました。しかし、若手に難しい仕事を与えることを避けるマネジメントが横行した結果、「このままでは自分の市場価値が上がらない」という成長不安が生まれた。

学校で「自分で考えろ」と教えられた子供たちが、企業に入って「考えなくていい仕事」を与えられる。

会社のことを真剣に考えれば考えるほど、ここに留まる理由が見えなくなる。

これが、構造です。


大人の現実は、子供より厳しい

子供は、9年もある時間が、大人にはありません。

毎日、学校で繰り返している子供と、毎日、会社の業務に追われている大人。同じことを身につけるのに、子供には9年かけられる仕組みがあり、大人にはその仕組みがない。

だから、大人の土台構築は、子供より、はるかに難しい。

そして、追いつかなくてもいいのかもしれない、とすら思います。

なぜなら、本当の問題は、追いつくかどうかではないからです。


会社が、新しい財産を潰しかねない

本当の問題は、別のところにあります。

土台のある若手が、土台のない大人がいる会社に入って、何が起きているか。

3年以内離職率34.9%。

新入社員と企業の主体性の意味が、約5倍ずれている。

ゆるくて辞める。考えなくていい仕事を与えられて、市場価値が上がらないと察知して、離れていく。

このままでは、学校で9年積み上げてくる財産を、企業に入った瞬間に潰すことになります。

その兆しは、もう数字に出ていると、私は見ています。

学校が9年かけて積み上げる土台を、会社が、研修にお金をかけながら潰してしまう。

新しい財産を、新しい財産だと気づかないまま。

満足度を見てください。離職率を見てください。

会社が新しい財産を潰していないか、一度確かめてみてください。


教えてもらえるのは、基礎だけです

研修で教えてもらえるのは、基礎まで。

基礎の先、つまり「自分の仕事にどう使うか」「自分の会社で何を見出すか」は、自分でやるしかない。

なぜなら、使いこなすのは、人間だからです。

研修の講師でもない、AIでもない、その会社にいる人間が、最後に何を見出すかを決める。

伴走者は、お金を払えば外注できるかもしれません。

でも、最後に何を見出すかは、その人次第。その会社次第。


「意図がある」と知って見る、という姿勢

ここまで読んだ方に、一つだけ、お伝えしたいことがあります。

NHKの番組を見るときも、会社の会議を見るときも、若手の沈黙を見るときも、世界の全てに、意図があります。

それを読み解こうとする人と、表面だけ見て流す人で、見える世界が違います。

学校で9年学んだ子供たちは、毎日、意図を読み解く訓練をしています。算数の文章題で、出題者の意図を読む。国語で、登場人物の意図を読む。道徳で、相手の立場の意図を読む。

それを9年続けて、入社してきます。

その若手が、会社に入って、上司の指示の意図を読み取ろうとする。同僚の表情の意図を読み取ろうとする。会社のルールの意図を読み取ろうとする。

そして、読み取れない場面に、何度もぶつかります。

「なぜ、この仕事をやるのか、わからない」 「なぜ、このルールがあるのか、わからない」

意図のない指示。意図のないルール。意図のない会議。

学校で9年「意図を読む訓練」を積んできた若手にとって、意図のない仕事は、苦痛です。

そして、辞めていきます。

3年で34.9%という離職率の中には、こうして辞めていく若手も含まれていると、私は考えています。


それでは、あなたはどうしますか

これから、9年積み上げてきた財産を持った若手が、毎年あなたの会社に入ってきます。

あなたは、彼らをどう利用しますか。

私は、活かしたいと思っています。

利用と、活かす。一文字違いに見えて、まったく違う言葉です。

利用する人の会社では、3年で3人に1人が辞めていく。

活かす人の会社では、その9年分の財産が、会社の力になる。

学校で9年かけて積み上げてきた土台を、入社した瞬間に潰すか、活かすか。

選ぶのは、あなたです。


出典

  • 産労総合研究所「2025年度(第49回)教育研修費用の実態調査」(2025年10月発表)
  • 厚生労働省「新規学卒就職者の離職状況(令和3年3月卒業者)」(2024年10月25日公表)
  • 東京商工会議所「2024年度新入社員意識調査」(2024年4月)
  • 第一生命経済研究所「シリーズZ世代考(3):Z世代の新入社員に求められる力とは」
  • 古屋星斗(2024)「若年労働者の離職と定着、その現代的論点」日本労働研究雑誌 767号
  • 文部科学省「学習指導要領」「道徳教育」関連資料
  • 中央教育審議会答申「主体的・対話的で深い学び」の定義
  • OECD PISA 2022調査結果 / 国立教育政策研究所
  • NHK Eテレ / NHK ONE for School(2025年10月移行)

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